コーヒーのアレンジ

世界の伝説のカフェ

    ヨーロッパ中心に、歴史に残るカフェ、文化財級のカフェをご紹介します。中には現役でカフェとして営業するお店もあります。カフェ目当てだけでも行ってみたいものですね。

    フランス カフェ・プロコブ

    ※業態を変え、建物は現存

    1669年、コーヒーはパリにも伝播しました。トルコ大使ソリマン・アガはパリに着任すると、宮廷貴族を招いて豪奢なコーヒー・サロンを催しました。

    パリ市内でパスカルというアルメニア人がテントを出して「プチ・ノワール!」(小さなカップのブラックコーヒー)という言葉とともにコーヒーを売ったそうです。いまでもパリでコーヒーのことをプチ・ノワールと呼びます。これらのことがあって、以後、パリ市内に約300ものカフェがオープンし、コーヒーは大衆的なものとなっていきました。

    パリのカフェで有名なのは、1686年、シチリア島出身のプロコピオ・ディ・コルテリという人物が『カフェ・プロコブ』を開きました。立地はパリの中心。古い公衆浴場を引き継いで大改装した店で、大きな鏡やシャンデリア、大理石のテーブル、そしてイタリア調のソファーなどを備えた豪華な内装のカフェでした。現在は、クラシックなフランス料理を出すレストランとして営業を続けています。

    店には、18世紀を代表する啓蒙思想家のヴォルテールやルソーの使ったテーブルが大切に保存されている通り、フランス革命と密接なかかわりをもつ店でもあるのです。

    店の看板には、前述の思想家だけでなく、ラ・フォンテーヌ、フランクリン、ダントン、マーラーロベスピエール、ナポレオンなど、歴史上の偉人の名がずらりと並んでいます。

    ウィーン ブラウエン・フラッツェ

    ※現存せず

    1683年、ウィーンはオスマン・トルコの大軍に包囲され陥落寸前の危機にありました。そのとき、勇敢なゲオルグ・フランツ・コルシッキーというセビリア人兵士が伝令役に抜擢。コルシッキーは、長くトルコで暮らしていたため言語や習慣に精通していたのです。コルシッキーはトルコ軍の包囲網を突破し、ドナウ河を渡って、友軍との連絡を数回にわたって成功させるなどの活躍をしました。

    カーレンベルグの戦いの末、ついにトルコ軍を撃退。トルコ軍の残留品の中にコーヒーの生豆がありました。コルシッキーは、報奨として「金よりも地位よりも、コーヒー豆だけでよい」と願い出て、コーヒー豆と家屋を得ました。その後、『ブラウエン・フラッツェ(青い瓶)』というウイーン初のカフェをはじめ「ウインナーコーヒー」を開発するなど、大成功をおさめました。

    話の真偽は不明ですが、コルシッキーの銅像はウィーン市内のフェボリテン通りとコルシッキー通りの交差点近くに残されています。

    イタリア カフェ・フローリアンなど

    ※現在も営業中

    1720年、ヴェネチア最古のカフェ『カフェ・フローリアン』が誕生しました。美しいサン・マルコ広場に面する立地が愛され王侯貴族の社交場として繁栄し世界的名声を博していました。大理石の回廊をめぐらせ、17、18世紀の壁画や置き物を配置し、美術館の雰囲気ともいえそうです。

    ヴェネチア共和国末期には多くのカフェが開業し、二度にわたるカフェ撲滅の嵐にさらされましたが、市民はカフェを守り抜きます。1828年、アントニオ・ヘドロッキは古い館を買い求めて、『カフェ・ペドロッキ』(※営業中)の建築を計画。古い教会のカタコンベ(キリスト教徒の迫害避難所)の上に建てられたもので地下室から多くの財宝が発見されたこともありましたが、計画どおり1842年に完成し、19世紀イタリアの代表的な建築物の一つに数えられました。

    また、176O年創業のイタリアの歴史的カフェといえば『アンチコ・カフェ・グレコ』。ローマのスペイン広場から南西ヘ延びるコンドッティ街にあります。1953年、イタリアの文化省から重要文化財に指定。ドイツの文豪ゲーテほかアンデルセン、ロッシーニなど錚々たる面々が訪れています。

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