コーヒーの歴史と製法

ロンドンのコーヒーハウスの歴史【英国紳士のご用達】

コンスタンティノープルからイギリスに伝わったコーヒーハウス。カフェ、喫茶店の役割にとどまらず、社交場の機能も兼ね、さまざまなカルチャーの発信基地となるなど大きな社会的役割を果しました。

そんなコーヒーハウスの歴史をひもとく、第2回です。

ロンドンのコーヒーハウスの最盛期

17世紀末には、ロンドンのコーヒーハウスは2000軒とも3000軒ともいわれる数に達しました。人口60万から女性と子供をを除くと、100人に1軒あたりの密度で店があったことになるそうです。

コーヒーハウス経営者は大満足ですが、客を盗られたパブの経営者がたまりません。「コーヒーハウスのメニューはすべてノン・アルコール」「食事は出さない」などの措置を取り、妥協が図られました。

ロンドンでペストが流行

パブとの競合問題以外に、コーヒーハウスにはいくつかのハードルがありました。

まず、疫病のペスト。コーヒーハウスが誕生して問もないころ、ロンドンはペスト流行に見舞われました。中世以来、たびたびペストはイギリスで流行しました。ペストを「黒死病」とも呼ぶのは、身体が焦げたように黒くなって死ぬからです。

1347年から48年に一度大流行しましたが、コーヒーハウス勃興期のペストの流行もはなはだしいものでした。なんと、ロンドンの人口の15パーセント近くの7万人の命を奪ったといわれているのでその被害は甚大です。

ダニエル・デフォーというイギリスのジャーナリストは、

「ロンドンの風貌は今やまったく一変して、もはや昔日の面影はなかった。あらゆる大きな建築をはじめ、市も、自由区域も、ウエストミンスター地区も、サザク地区も、すべてが一変してしまったのだ。」

と記しました。

このような甚大な被害が出たのは、医療が未発達で有効な治療法がなかったからです。そのため、感染者が出た家屋は出入り禁止として見張りをつけるなどの方法しかありませんでした。

また、エリザベス朝時代以来、ロンドンに多くの人間がやってきて、違法建築が次々に生まれ、都市環境は劣悪なものでした。17世紀に入ってからますます悪化し、衛生状態も最悪でした。狭い一軒家に数十人が暮らし、曲がりくねった道路の中央を不潔な下水が流れ、雨が降れば汚水が道にあふれ……といった状況。

このような不衛生な都市で伝染病がはやれば大惨事間違いなしです。

ロンドンの大火事

ペストの次は大火でした。パン屋の失火から火事が起こり、一般家屋やセント・ポール大聖堂なども含む公共建築物の多くが燃え尽きました。被害総額は、当時の換算で1千万ポンド以上ともいわれます。これもペスト同様に、劣悪な都市環境によるところも大きいのです。とはいえ、死亡者はわずかに22人と少なかったことは不幸中の幸いといえるでしょうか。。

これらのことから、ロンドンの街並みは、建築物に規制を行い、防火体制を整備するなど、都市環境の整備への意識が高まりました。皮肉な話ですが、この大火事によりペスト菌が絶滅したということもありました。

ペストの流行と大火事は、都市の社交場として認知されかけたコーヒーハウスにも影響しました。人足は遠のき、店では具合の悪そうな人をペストではないかと疑ったり、離れた席に座ったりといった光景があったそうです。ニセ医者も横行したという話もあります。

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