コーヒーの歴史と製法

『カフェーパウリスタ』という伝説

    『カフェー・パウリスタ』といえば、泣く子も黙る老舗コーヒー店。「銀ブラ」という言葉の語源になった店でもあります。歴史あるこの店の歴史をひもときましょう。

    銀ブラ=銀座でブラジルコーヒー

    銀ブラとは「銀座をブラブラ歩く」は誤用で、「銀座でブラジルコーヒーを飲む」が正解です。その語源となった『パウリスタ』という店は、その後身が銀座で営業中です。この店に来店した有名人は多く、藤田嗣治、村山槐多、吉田博画伯などが常連でした。 他にも、 芥川龍之介、森茉莉、井上ひさし、菊池寛、谷崎潤一郎、与謝野晶子、高村光太郎、森 鴎外、アインシュタイン、ジョン・レノン、オノ・ヨーコ夫妻など(パウリスタ公式サイト:www.paulista.co.jp/ より)と、錚々たる面々となっています。

    日本のカフェの祖・水野龍

    パウリスタの創立者は、水野龍(みずのりょう)。当時、世界の50%以上のコーヒーシェアをもっていたブラジルは、奴隷解放によって農園の働き手を失い、労働力を世界各国へ求めましたがうまくいきません。折しも日本では、人口増加による食糧不足や日露戦争から帰還した人たちの失業問題が深刻化していました。その解決策として、水野氏は日本人の移民を計画しました。大勢の日本人を率いてブラジルへ向かった水野氏らは、礼儀正しさと社交性から好意的に受け入られましたが、多くの困難があったそうです。また、水野氏もこの移民事業によって大きな赤字を抱えます。

    ブラジル政府は、水野氏に“コーヒー園開拓の恩人”として、年間1000俵のコーヒー豆の無償供与と東洋の一手宣伝販売権を与え、日本におけるブラジル珈琲の普及事業を委託しました。

    水野氏は、その新しい事業により儲けが出れば自分の利益とすることができたのですが、それを無償かほとんどそれに近い安価な価格で売り出しました。

    イメージはパリのカフェ

    水野氏は、フランスはパリの『カフェー・プロコプ』をイメージした白亜三階建の洋館を東京銀座につくりました。明治43年のことで、これがいまも銀座に残る『カフェーパウリスタ』です。

    ブラジルのサンパウロ州政庁からコーヒー豆を無料でもらい受けることができるので、パウリスタでは現地ブラジル流の抽出方法d、惜しげもなくたっぷりと厚手のカップに注ぐスタイルを確立しました。砂糖がまだ貴重だった時代に、テーブルの上にはシュガーポットを出しっぱなしというぜいたくさ……。さらに、コーヒーはドーナツつきで五銭という安価だったため、店はたいそう繁盛したそうです。また、朝日新聞社や電通本社、帝国ホテル、外国商館などに近い立地のため、進歩的な文化人や新聞記者のたまり場となりました。当時は、朝9時から夜11時の営業時間内で、多い日にはおよそ4,000杯のコーヒーが飲まれた程の盛況だったという話。

    こうした成功をおさめた人物でありながら、水野氏は私心を一切もたず、ひたすらブラジルコーヒーの宣伝に務めました。来店する人だけでなく、地方の人にコーヒーの味を伝えるために、コーヒー・シロップを開発したりと、さまざまな工夫をしたそうです。

    カフェコーヒー  カフェコーヒー

    カフェオーナー講座ランキング

    カフェピックアップ記事

    1. 銀座カフェ
    PAGE TOP